スポンサーサイト

--.--.--.--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

クモのレース

2012.06.05.Tue
 安房直子さんという童話作家のことを、このブログに書いたことがありましたが、この人の話のなかで、もう一つ、心に残っている話があります。「丘の上の小さな家」という話です。

 丘の上に小さな家があって、そこにかわいい中学生の女の子とお母さんが住んでいました。かなちゃんという、この女の子はレース編みが好きで(昭和だわぁ…)、いつもベランダに座ってレースを編んでいました。そんなかなちゃんは、ある日、クモに話しかけられます。「あなたのレースと、ぼくのレースと、どっちがすてきでしょう?」と。かなちゃんが顔を上げると、クモが巣を編んでいました。その銀色の巣のレースがあまりに美しく、かなちゃんはとりこになってしまいます。

 そのレースの編み方を教えてくれる学校が、町の向こうの森の奥にあると聞いて、居ても立ってもいられなくなったかなちゃんは、ある夏の朝、森に出かけ、学校の門をたたきます。学校にいたクモの娘達には、「クモでもないものが、クモの学校に入るのは、よくないよ」と言われたのですが、どうしてもと言って、先生にクモのレースの編み方を教えてもらうのです。そして夢中で編み続け、かなちゃんは模様の編み方を覚え込んで、学校をあとにします。

 森を出ると、すっかり夕暮れで、かなちゃんは走って家に戻ったのですが、そこで思いがけない事実を知ります。かなちゃんは、朝に出かけ、森の中で数時間を過ごして、夕暮れに家に戻ったと思っていたのですが、実は、その間に40年という時間が経っていて、お母さんは5年前に亡くなっていました。そういえば、かなちゃんは、学校でレースを編んでいるときに、外から自分を呼ぶ声が何度か聞こえたような気がしていたのです。中学生だった女の子は、自分が知らない間に白髪混じりの女の人になっていました。花嫁になる日のベールを自分で編むことも夢見ていたのに、そんなことの一切をいつのまにか失っていました…。

 という、いわゆる異界譚です。こんな話を思い出したのは、自分が翻訳の勉強を始めてからの時間は、あっという間だったなぁ、と最近何の気なしに思ったのがきっかけです。医薬翻訳の勉強を始めてからの時間だけでも9年目になりましたし、それ以前からも少しですが、翻訳の勉強と仕事はしていましたので、優に10年を超えます。いろいろなことがありましたが、でも、本当にあっという間でした。なので、このレースの話を思い出して読みかえしたとき、少し自分と重なる部分があって、ドキッとしたのです。

 かなちゃんの話には続きがあります。かなちゃんがいなかった時間のことを、かなちゃんに教えてくれたのは、お母さんが飼っていたネコでした。「たかが」レース編みのために失ってしまったものの大きさに愕然とし、お母さんのことを嘆き悲しむかなちゃんを、ネコはそっと慰めてくれます。あなたのレース編みは、そのために人生の半分を引き換えにしても、決して惜しくないものだったと。事実、ネコのすすめで、かなちゃんがレース編みの仕事を始めると、すぐに多くの人が大金を払ってかなちゃんの作品を求めるようになります。

 でも、その後もかなちゃんは、ネコと暮らしながら、折々にお母さんの思い出話をして、「あのとき、クモに会わなければ」という後悔と苦しみを抱えて生きていきます。ネコは、そんなかなちゃんの40年を肯定してくれます。「いいえ、クモに出会わなかったら、こんなにすばらしいレース編みを知らずに、一生を終わるところでしたよ」と。

 何かに取り憑かれたように、あることに夢中になると、時間なんて本当にあっという間に経ってしまうものですが、そのことは、その時間と引き換えにしても、惜しくないものか、惜しくないものにできるのか、なんて考えだすと、怖くて何もできなくなりそうです。でも、実際に夢中になっていると、そんなことは思い浮かばないので、夢中になっている時間は、ある意味、恩寵でもあるのですよね。

 でも、そんなふうに夢中になっている最中でも、ふっと我に返って、これでよかったのかなと迷いが生じるときは、あるものですが、自分がそれまでに過ごした時間、その時間の中でやってきたことを、その後の人生の土台にするしかないわけで。そんなとき、本当に心底救いようがなく後悔することのないように、それまでの時間と引き換えに、きちんと得たものがあるようにしないとなぁ…なんて考えてしまったのでした。
スポンサーサイト
 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。