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むこう側

2011.03.16.Wed
 被害のあまりの大きさに、本当に胸が痛むとしか言いようがない。放射能に被曝しながら作業しておられる方々も気の毒だ。

 ダンナさんの同僚の仙台出身の方は週末にご家族と連絡が付き、無事が確認できたとのことで、うちのダンナさんも含めて周囲の一人一人に、わざわざ「ありがとうございました」と連絡を下さった。まだ20代のお嬢さんなのに、そういう気配りができるなんて、健気だな、えらいなぁと思う。わたしはかなりのボンヤリ者なので、その年代でそんな気配りはできませんでした(恥)。一方、わたしの取引先では、週が明けてからやっとご実家と連絡が付いたという方もいれば、未だ連絡が付かないという方もおられ、心から無事をお祈りしているところです。そんなことしかできないのが、もどかしくてしかたないのだけど。プライベートの関東方面の知り合いの人達については、無事を確認できていて、そのことは救いです。

 震災を経験したときは、自分自身にはほとんど被害がなかったとはいえ、勤務先は当然ながら大きな被害を受けたし、通勤にも影響がありました(微々たる経験を何度も持ちだして申し訳ありません)。あの頃は、何とか途中まで通じるようになった電車と、やっぱり途中までだった振替え輸送のバスと、あとは徒歩で、平時であれば片道30分程度で通える距離を、往復4時間ほどかけて通勤した時期がありました。まだ瓦礫だらけだった非日常的な空間を、テクテクと歩いたことを思い出します。大阪方面から通勤してきていた会社の社長は、地震の前はいつも磨き上げたピカピカの靴を履き、オーダースーツを着たおしゃれな人だったけど、その頃はジャンパーにリュックという出で立ち。周囲のみんながそうだったので、それが当時の自分たちにとっての普通だったのだけど、一歩、被災地を出れば浮きまくっていたらしい。大阪などは、もうすっかり日常が戻っていて、「『むこう』は地震の爪痕なんかどこにも見当たらないよ、みんなパリッとスーツ着てね~」と聞くと、ほんの少しの距離なのになぁと、何とも言えず複雑な気持ちになったものです。

 そして今、わたしはその「むこう」側にいて、当時と同じように複雑な気持ちを抱きながら過ごしています。被災地の惨状は気になるし、何かできることがあればお手伝いしたい気持ちはあるのですが、本業の仕事をいただいているし、ちょっと他の事情もあって動けない。被災地にいても、そうでないところにいても、自分の現実に対処しなければならないことに変わりはなく、自らのささやかな本分を果たすほかはないんだなぁと感じながら、1週間前と何も変わらず仕事をしています(そして、ようやく納品の目途がついたので、こうして書いているところ)。登録しているボランティアサイトでは、こんなときだからこそ訳したい文書の翻訳依頼がMLで回されてきたけど、余力がなくて手を挙げられなかった。情けないけど。もっともこちらの方は、心ある人達がすぐに手伝いを申し出られていて、それを思うと、できる人ができることを少しずつするしかないよね、と思います。わたしの場合は、仕事をすることができているのだから、まずはその報酬を、一部ではあるけど義援金として送ること、節電すること、ぐらいでしょうが。そのなかで、本当にどの人達にも、一日も早く穏やかな日常が戻ることを願っています。

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