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青いバラ

2009.11.22.Sun
しばらく前の話題になってしまいましたけど、サントリーが約20年前に開発を始めた青いバラが売り出されましたね。これだけ長い年月かけて開発される間には、景気の浮き沈みも大きかったですから何度も中止が危ぶまれたと聞きますし、開発にかかわった方たちの感慨もさぞや深いだろうと思うと、素直によかったなぁと思います。不可能の代名詞が、夢実現のシンボルになってめでたし。美しい、大人のバラって感じですね(コンピュータの画面で見ると、どうしてもガラスの仮面の真澄さまを思い出しますが(^^;)

片や思いっきり危機に立たされている科学技術研究費。他の何をケチったって、育てることについてケチっちゃいけないと思うんですけど。科学にお金がかかるのなんて当たり前じゃないですか。無から有を生み出そうとしてるんだから。

一見無駄なものがいっぱいなければ、生まれるはずの成果だって生まれてこない。自然界って、一方では極めて合理的でありながら、他方ではものすごく贅沢な無駄がいっぱいあるように見えます。でも、その贅沢な無駄と無駄が実は有機的につながりあって、別の思いがけない何かの伏線になっていたりするんですよね。素人の想像で申し訳ないのですが、一見関係ない様々なものの間の結びつきや共通点が、あるときパパパッと見える、そういうのが研究の醍醐味なんじゃないかなと思うのですが、地味な基礎研究を山のように積み重ねていかないと、見えてくるものも見えてこない。万の種がなければ、一つの果実だって得られないと思うのです。

実はわたしの仕事にも少し似たような部分があって、ふだん無我夢中で調べ物をしながらも、一つ一つは断片的なその場その場の理解にとどまっていたりするのですが、仕事でいろんな文書を読んでいるうちに、あ、あのときのアレは、こういうことだったのかとフト腑に落ちて、単独の断片的な記憶ではなくなることがあり、そういうのがすごくおもしろかったりします。また、翻訳とは全然関係ないと思っていた過去の経験や本から得た雑学的な知識が、一つ一つは点として存在していたのが急に線になって目の前の仕事に結びついたりして、そういうとき、無駄なことなんて本当に一つもないんだと実感します。

わたしのチャチな経験と同列に語るのもどうかとは思うのですが、道筋としては、それって科学も同じじゃないかなと想像します。それなのに、あんな乱暴な仕分けで切られてしまったのでは救われませんよね。

その一方で、プレゼンテーションも大事なのかなと思います。

かつてニュートリノ研究でノーベル賞を受賞した小柴昌俊教授のことが、当時いろいろと報道で紹介されていたとき、「小柴さんは、とにかく(文部省から)お金をとってきた」というのを聞いて、その交渉能力に驚いた覚えがあります。お金にならない金食い虫という言い方をあえてすれば、素粒子物理学なんてその筆頭でしょう。ロケットほど実用的でもないし。「ニュートリノ研究」と聞いても、にゅーとりのって??というふうに思ったのは、文部省のお役人にしたってそれほど変わらなかったんじゃないかと思います(そうでもない?)。それを説得して百億単位のお金を出させるなんて物凄い交渉力ですよね。小柴教授の人柄とか情熱とか、そういうのもあってのことだと思いますが。

青いバラの揺りかごを守った故 佐治会長のような懐の深さは、今やどこにも求められないものなんでしょうが、せめてもう少し、将来に希望が持てる国であってほしいなぁと願います。

(なんかいろいろ勝手なことを書きました。すみません。)





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コメント
nobaraさんのご意見に共感、賛成してます。
私は研究者ですが、研究と翻訳って営みとして非常に似ていると思います。nobaraさんの仰っていること、よく分かります。

あと、事業仕分けで問題になった次世代スーパーコンピューターでは、研究者サイドのプレゼンテーションが下手くそでしたね。あれじゃ、相手を説得できないでしょう。日本の研究者も、もっと一般社会に向けて自分達の研究の重要性や意義を明確に説明し、説得できるプレゼン能力を身につけた方がいいですね(自戒を込めてですが)。それが社会に対する説明責任を果たすことになると思います。そういう意識が日本の研究者には足りないのでしょう。政治とかお役人の問題だけでなく、研究者サイドにも問題があると思います。
やま さま

共感していただいて恐縮です。ありがとうございます。
なんか、すごい悲しかったので、つたない考えを晒すのも恥ずかしかったんですけど、一応書いてみようかと思いまして。

いや~、でも最初から切り捨てる気満々の突っ込みでしたからね。フェアじゃないと思いました(怒)。

説明責任については、これまでその大事さを実感する機会がなくて、今、直面していらっしゃるということかなと思います。研究を発表する機会は、論文やポスター発表などいろいろあるでしょうし、プレゼンは慣れていらっしゃるのかなと思っていたので、ちょっと意外でしたが。そういえば、翻訳原稿の文章も・・なものが多いと聞きますので、根は同じところにあるのかもしれませんね。(何様なんでしょう、わたしe-330スミマセン・・・)
またコメントつけてすいません。
多分ですね、専門家同士の仲間内でのプレゼンなら慣れているんですが、専門知識などがない一般の方に対して、自分達の研究の意義を分かりやすく説明するという経験がない、またはそういう必要性を認識していないから、外部の人向けのプレゼンが下手くそになるんでしょうね。

専門家同士で話す時って楽なんですよね。言葉が足りなくても、専門知識を共有しているので、通じてしまうんですよ。だから、言葉を尽くしてちゃんと説明するということを意識的にやってきていなくて、その結果、翻訳原稿も・・・になってしまわれる方もいるんだと思います。理系の方は特に文章を書くのが苦手な人多いですし・・・。まぁ、そこらへんが翻訳者にとっては有利ってことになりますが・・・。
> またコメントつけてすいません。

いえいえ、とんでもないです。ありがとうございますe-257

そっか、そうですよね、納得です。
専門家以外の人に話そうとすると、どこからどう話したらいいんだか、さっぱりわからなくなるのは、よくわかるような気がします。難しいことをわかりやすく話すのは、本当に難しいことだと思います。

それに、文章っていうのも難しいですから無理ないと思います。きちんと背骨の通った文章を書くのは本当に難しいです。へっぽこ翻訳者(=わたし)が言うんですから間違いありません(笑)。

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